야마시나(山科)계 작품과 「구니코(邦子)」 고찰
山科系の作品と「邦子」考察
0
조회
0
다운로드
0
인용
0
참고문헌
키워드
초록
志賀直哉の山科系の作品は狹い身邊の事情を扱ったものであるが、それに打ち込む作者の眞劍な態度には、特殊の私的なことを描いて普遍に通じるものがあり、それは體驗者だけの壓倒的な力を持っている。志賀は「山科の記憶」、「痴情」、「琑事」、「晩秋」の四つの作品を一九二五年九月から一九二六年九月までつづけて発表するが、この作品を書いた彼の本気なものはこの山科の事が彼の家庭に、特に妻にいかに反映したかという所であった。一つの事にすべてを注ぎこむような形をとる志賀が、「山科」系の作品においては中途半端な及び腰に終始している。そして勇者、強者であり、卑劣さを拒否する志賀が、主人公、彼を妻に対しての弱者、欺き、隠れてこそこそというべき情けない立場に置かれている。これらの特徴は、志賀の作品の中で稀有な作品といわざるをえない。この作品群は四十代入り、經驗した恋愛を素材にして主人公、彼と妻との關係を充實に、また率直に敍述している。四つの「山科」系の作品において妻はいつも强者の立場を占めている。志賀は「邦子」を一九二七年十月と十一日月、二か月にかけて文芸春秋に發表するが、この作品を発表する前に山科の恋情事件をそのまま私小説化して見たのである。「邦子」においては、邦子は弱者、私は強者という、逆の立場に置かれている。作品「邦子」は、山科系の作品に取り扱われている事件を、別の場合の結果を想像して本格的に描いた力作である。自分の恋愛経験と友から聞いた話を素に、存分に作られたものである。妻の自殺をテーマとしているこの作品は主人公、私が一人稱視點で、妻の自殺に対する自分の悔恨の情を表われている。この作品においては、夫と女中との事、夫と女俳優との事で夫に裏切られた邦子の內面の苦しさが鮮やかに描かれている。私の自己中心の思考と行動のため、邦子の絶望感と不安感がつのるが、私は始終邦子に關心を傾けていない。私は妻の苦惱に對して鈍感であり、配慮と同情心を持っていない。結局、私の自己本位に傾いた極端な利己主義と無関心によって、寄り掛かる所の無くなった邦子は自殺をするようになったのである。懦弱な邦子としては自殺という極端な行爲を通じて自分の內面の苦痛を'最後の主張'として殘るのであると思われる。山科系の作品と「邦子」の對照的な結末を通じて、どんな場合でも强く生くべきだというのをいわれているのである。
참고문헌 (12)
- 志賀直哉, "志賀直哉全集 全十五巻" (1973), 岩波書店
- 高橋英夫, "志賀直哉-近代神話" (1981), 文藝春秋社
- 中村光夫, "志賀直哉論" (1954), 文芸春秋社
- 須藤松雄, "志賀直哉-その自然の展開" (1985), 明治書院
- 須藤松雄, "志賀直哉の文学" (1976), 桜楓社
- 大正文学研究会, "志賀直哉研究(近代作家研究叢書37)" (1984), 日本図書センタ-
- 高田瑞穂, "「山科の記憶」一系の作品について, 志賀直哉Ⅱ (日本文学研究資科叢書)" (1978), 有精堂
- 村松定孝, "志賀直哉, 日本近代文學硏究" (1968), 日本近代文學硏究
- 淸水正, "邦子を讀む, 志賀直哉" (1991), 小學館
- 國松昭, "「山科」ものについて, 志賀直哉 (一冊の講座 日本の近代文学3)" (1982), 有精堂
- "国文学 解釈と鑑賞(特集 志賀直哉を再評価する)" (1987), 至文堂
- "国文学 解釈と教材の研究(特集 志賀直哉-芸術家=小說家として)" (2002), 學燈社
