『上宮聖德太子傳補闕記』에 나타난 太子像 -태자 관음화신설에 대한 再考-
A Study of Crown Prince Syotoku' s biography, "ZoguSyototaisidenhoketuki"
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초록
昔から、聖徳太子に対して多くの研究がされてきた。数多くの太子伝も編 纂されて太子のイメージを作り出した。なかでも、『上宮聖德太子傳補闕 記』(以下、『補闕記』と略す)は多くの太子伝の嚆矢ともいえる。古代から、 聖徳太子が救世観音の化身という'聖徳太子救世観音化身信仰'が信じられ るようになるが、それは太子伝の集大成ともいえる『聖德太子傳略』(以下、 『傳略』と略す)によるのである。『傳略』が『補闕記』の全文を収容しなが ら、その字句に潤色をほどこして、『補闕記』とは別の太子像、つまり、聖徳太子救世観音化身説を作り出したのである。しかし、『補闕記』の編纂意 図は、『伝略』のそれと違って、太子を救世観音としていない。 本稿では、『補闕記』にあらわれた太子の信仰を考察して、本書が描いて いる太子像を捉えようとしたのである。『補闕記』は、太子誕生譚で、<救 世願>をもつ金色僧が太子の母后の腹中にはいりこんで、懐妊したというの である。それにつづいて、誕生のとき、"有赤黄光。至自西照于殿内"と西 から赤黄光があったと語っている。『伝略』は、『補闕記』の話を原文その どおりで収容しながら、"救世願"→"救世之願"へ、さらに、"赤黄光。 至自西照于殿内"を""家在西方"へと潤色している。それで、太子の前身 である、金色僧は、西方浄土の救世観音として捉えるになる。しかし、救世 願とは諸仏菩薩にたいしてつかわれる言葉であって、けっしてそれが観音を さすのではない。 さらに、『補闕記』は、"三歳之後, 常旦日東向, 称南無仏而再拝, 不因人 教."といって、東方にむかって南無仏をとなえたとするが、その東方の仏と は、釈迦牟尼仏にかわる弥勒仏であることが、本稿でわかった。『補闕記』 で、みられる弥勒信仰は、日本の伝統的な信仰の日神信仰と習合された弥勒 信仰で、仏教信仰ではみられない、日本だけの特色をみせている弥勒信仰で あることが、本稿の考察でわかった。 『補闕記』は独自の編纂意識をもって太子像をえがいていて、『伝略』と は別の見方をもって、研究の原点とされるべきである。
Abstract
This research is about biography"Zogusyotokutaisihoketuki" that appears on the Crown Prince Syotoku's image. Crown Prince Syotoku, biographies written a great deal about long ago. Among other things, "Zogusyotokutaisihoketuki" was written for the first time. From ancient, ancient Japanese people, the Crown as Avalokitesvara Bodhisattva in the belief it was used. But coffins work if you study the contents of "Zogusyotokutaisihoketuki" was not represented as a Maitreya, and can see on that. Crown Prince was the Sun god and described as the Maitreya, at the same time. Conventional solar religion and mixed is a characteristic unique to Japan of Maitreya This work is the faith of the people of ancient Japan express.
참고문헌 (6)
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- 新川登亀男, "上宮聖徳太子伝補闕記の研究", pp.255~ (1980), 吉川弘文館
- 林幹弥, "太子信仰の研究", pp.2~ (1980), 吉川弘文館
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