『곤자쿠모노가타리(今昔物語集)』의 여인왕생담 고찰
A Study on the tales of women's Ojotan in 『Konjakumonogatari』
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Abstract
『今昔物語集』は仏教説話集として、仏教が民衆の教化の方法として興味ある話を通じて仏の本当の姿を心の中で形造って信じるようにするため生まれたのである。記紀にうかがわれるように、男女の交わりにいささかの罪悪感をも覚えることのなかったように見える日本に、仏教は男女隔離の風習、すなわち、僧侶が女人に近づくのを禁ずる戒律などをもたらした。仏教には、男女を平等とする考えがないとはいいきれないが、概して、女は罪業ふかく、成仏しがたいと考えられている。 本稿では、このような仏教の伝統的女性観を『今昔物語集』の編者はどのように理解して伝えているかについて考察して見ようとする。特に、仏教の修行生活における窮極的な目標だといえる往生を女はどんな形で成し遂げているのかに分析の焦点をあてて考察して見ようとする。 女人往生とは、女でも成仏することができるということで、世の中の女性たちに希望を与えている説である。『今昔物語集』の女人往生談は本朝の仏法部の第15巻に12話, 第17巻に1話,第19巻に2話が載せられている。特に、第15巻は往生談としてその話の題目を見ると、例えば「小松天皇御孫尼往生語第三十六」のように誰々かが往生した話であるという形になっている。そのような話が54話である。54話の中で第1話から第35話までは聖人、比丘、沙弥の往生談、次は比丘尼の往生談、貴族の男性の往生談、貴族の女性及び金持ちの女性、寺の賎童の順序で整然と往生人を列記している。その順序が編者の尊敬する人物からなっているので構成面での特徴も注目される。また、編者の総合的な往生談として構成しようとしたのが把握される。 女人往生談で特徴的な面は、母が息子を僧として教育させるという仏道の案内者の役割である。この点は他の部分で仏道の邪魔物としてみるのと対照的である。編者は女でも往生できると微かな希望を女に与えながら、一方では女の存在そのものが罪になるから男は女に触れてはいけないと戒めている。
참고문헌 (3)
- 田中貴子, "古典文学にみる竜女成仏", 国文学解釈と鑑賞, (720) (1991), 至文堂
- 中村元, "岩波仏教辞典" (1989), 岩波書店
- 馬淵和夫等, "今昔物語集 : 日本古典文学全集" (1980), 小学館
