일본 근대 여성작가들의 <자기 고백적 글쓰기> 양상-이와노 기요코(岩野清子)와 다무라 도시코(田村俊子)문학을 중심으로 -
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本稿は大正時代を中心として、岩野清子と田村俊子の作品の中で現れている<自己告白>について分析してみた。田村俊子は近代日本で最初の女性による女性のための文芸誌、という言われる『青鞜』に創刊号から參加していた。一方、岩野清子も「青鞜」の周辺作家でもあり、創刊当時から雑誌の編集と作品を投稿してきた。最近、韓国で行われている、これまでの日本の文学史において、漱石、鴎外など、男性作家達の作品を中心にして評価されてきたのを見直そうというものが主流である。それは、男性中心の価値観、ジェンダーで固定された認識に起因する可能性のある評価基準でもある。でも、本稿では今までなかで<名作>と評価されていなかった女性作家の作品に注目し、その文学的な価値を与えることと共に作品に現われている女性たちの<現実>を見直してみた。女性作家らは、<告白の語り>の形で自分の内面を叙述する場合が多い。女性作家らは、<自己語り>を通して、<飾りない自己>を追い求めていた。岩野清子と田村俊子の作品の場合、男性中心の現実を見直し、男女差別の本質を探っている。岩野清子は小説家岩野泡鳴と結婚していたが、泡鳴が愛人を作って、別居に至る。しかし、驚くべきことに清子は夫に対し同居請求を起こしたのである。実生活をみてもわかるように、清子の「愛の争闘」には、彼女自身の「戦う姿勢」を明確に示していると言えよう。『彼女の生活』は「両性の相剋」という当時の「新しい女」にとって最も切実なテーマを提起したものとして、女性を窒息させる結婚制度を取り上げている。本稿においては、『青鞜』をめぐる一見雑多な人々の意識の中に浮かび上がってきた時代的課題としての、「結婚制度」という観点から田村俊子の『彼女の生活』を取り上げてみる。女性作家における<自己告白>とは、独特な文体と形式の問題ではなくて、女性らの現実の抑圧に抵抗し、解放を追い求めるプロセスのなかで浮上してくる問題を解決するための<戦略>として考えられるのではないか。
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