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『蜻蛉日記』의 無常觀

A Study on "HAKANASI' in KAGEROUNIKKI

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주제분류일본어와문학

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Abstract

本稿では、『蜻蛉日記』に見える「はかなし」の用例を検討して、作者の無常の意識を考察しようと試みた。特に『蜻蛉日記』に見える「はかなし」の用例が、作品中の年末と年初、それから中巻初まで集中的に表れていることに注目した。日本の上代文学において「はかなし」の初期の表現の作品である『蜻蛉日記』の無常の意識を具体的に検討し、作品の構成といかなる関連性を持っているのかを調べようとした。 平安朝の文学の中に表れている仏教的な思想は、宿世に対する自覚、罪障の意識、無常感の三つがあげられる。『蜻蛉日記』では宿世の自覚と罪障の意識は具体的で一貫的には表れてはいない。しかし、無常の思想は「はかなし」の用例を中心に一貫的に表れている。平安朝の文学の中に表れている無常の思想に関わりのある表現では、「はかなし」の外、「常なし」と「かりの世」があるが、この二つは『蜻蛉日記』にはみられていない。また、本文で検討したように「はかなし」に表現されている作者の無常の意識は、主に上巻を中心に表れていることから、上巻の執筆の期間である十五年間の不幸な結婚の生活の結果がもたらした意識であることが分かる。 『蜻蛉日記』は、序文で「世の中にいとものはかなく」からその序頭が始まり、上巻の末尾の跋文にいたっても 「なほものはかなき」を意識している。中巻の初めの記事でも「かくはかなながら」といった同一な意識を見せている。こういった作者の無常の意識は、中巻の初頭からつながる969年の年末の記事でも集約的に表われている。この時点が『蜻蛉日記』を執筆させた出発点であり、上巻の基調を決めていることでもある。作者の現世に対するはかない意識は、夫であった藤原兼家との結婚の生活の不幸な結末からできた作者の宗教観であり、人生観でもあろう。『蜻蛉日記』からみられる無常の意識は、作品の執筆の時点で認識した作者の人生の総括的な宗教観ないしは人生観であったことが分かる。

참고문헌 (1)

  1. 永藤靖, "古代日本文?と時間意識" (1979), 未?社

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