일본 근대의 니노미야 손토쿠(二宮尊德) 모범인물화와 報德社
The Creation of a National Exemplary Person NInomiya Sontoku and influence of Houtokusya in Japan Modern Times.
0
조회
0
다운로드
2
인용
0
참고문헌
키워드
초록
本稿では報徳社の成立と発展過程、そして報徳社の活動や事業を通じて、報徳社が日本近代社会の底辺で二宮尊徳の模範人物化にどのような役割を果たしたかを検討してみた。江戸時代の末期、二宮尊徳の指導により相互扶助組合の形で成立された報徳社は、明治時代に政府の承認を受けてさらに隆盛した。これは二宮尊徳の門人(富田高慶、福住正兄など)が、政府の高官(品川弥二郎、平田東助など)との政治的交渉を通じて得た成果であった。この過程で二宮尊徳は模範人物として浮上するようになったと言えよう。明治時代の地方改良運動の時は大日本報徳社を中心に国民教化の中心的役割を果たし、昭和時代には大々的な国民教化の機関として内務省と文部省まで指揮し、児童、青年、婦人、高齢者など、老若男女を問わず様々な行事を造成して国民教化の事業を行なった。特に小学校を中心とした学校事業に集中して教職員を報徳の専門家として養成した一方、小学校に学校報徳社、学級別報徳社などを設立して、児童を将来の報徳社員に養成して行ったことが分かった。この時の国民教化の内容は、二宮尊徳の報徳思想に教育勅語と国体思想を融合したもので、個人の権利と幸福ではなく、公益と国家のための犠牲を要求している。結論として江戸時代に二宮尊徳により相互扶助組合の形で発足した報徳社が、近代日本の国民教化の機関にまでなったのは、明治政府が報徳活動を公認し、二宮尊徳を教育勅語の模範人物として教育政策的に適用したこと、二宮尊徳の思想を国民教化の思想的基盤としたこと、報徳社の経済力と各地域に分社と会員をおく全国的組織のネットワークを形成していたこと、小学校に報徳社を設立することで報徳思想の専門家及び将来の報徳社員を養成し、人的資源が確保できたことなどがあったためであろうと思われる。この研究結果は、敗戦後の報徳社活動がどのように行われてきたかを比較研究するのに役立つであろう。
참고문헌 (20)
- 石田伝吉, "報徳記伝", pp.387~388 (1915), 大倉書店
- 小田原市, "小田原市史(通史編近現代)", pp.30~299 (2001), 小田原市
- 海後宗臣, "近代日本教科書の総説", pp.78~79 (1969), 講談社
- 吉地昌一, "解説二宮尊徳翁全集巻6(現代事業篇)", pp.70~ (1938), 解説二宮尊徳翁全集刊行会
- 見城悌治, ", In 馬原․掛谷還暦祝賀", pp.881~ (1991), 文理閣
- 見城悌治, "近代日本社会と報徳思想", 大阪歴史学会, (137), pp.71~75 (1992), 大阪歴史学会
- 佐々井信太郎, "大日本報徳社概要", pp.56~ (1955), 大日本報徳社
- 大日本報徳社, "大日本報徳社의 沿革(13)", 報徳, pp.14~16 (2005), 大日本報徳社
- 富田高慶, "補注報徳記(上)(現代版報徳全書1)", pp.38~ (2001), 圓融合会刊
- 留岡幸助, "二宮尊徳", pp.46~ (1905), 警醒社
- 長沢源夫, "二宮尊徳のすべて", pp.104~105 (1993), 新人物往来社
- 中島力造, "徳育と倫理", pp.186~ (1907), 目黒書店
- 中村紀久二, "复刻 国定修身教科書 解説", pp.135~ (1990), 大空社
- 西谷忠雄, "教育と二宮尊徳", pp.15~17 (1909), 警醒社
- 土井亀之進, "二宮先生を唯一の模範人物とせよ, In 明石講演集(坪井忍)", pp.101~ (1909), 報徳会
- 二宮尊徳生誕二百年記念事業会, "尊徳開顕", pp.252~270 (1987), 有隣堂
- 原善三朗, "二宮先生", pp.33~ (1933), 松堂書店
- 福住正兄, "訳註二宮翁夜話(下)․富国捷徑(抄)", pp.204~ (2003), 一圓融合会
- 三戸岡道夫, "二宮金次郎と13人の世界人", pp.248~249 (2004), 栄光出版
- 八木繁樹, "定本報徳読本", pp.360~ (1983), 綠蔭書房
