가와바타 야스나리(川端康成)의 「이중의 실연(二重の失戀)」 고찰 - 집착에서 자기 인식으로 -
A study of Kawabata yasunari’s “A duble unreguited love”
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초록
作品「二重の失戀」を中心に、主人公<彼>が失戀の傷跡から脫するために選んだ旅、そして汽車の中で再會した戀人のはつ子をめぐって、現實での自分を凝視する姿を調べてみた。 戀は命と同じであると思う川端であっただけに、戀を失ったというのは命を失ったことにほかならないだろう。この傷は自身を救ってくれる對象の喪失を意味する。そして失戀の傷は主人公<彼>に伝わって描き出されている。 <彼>における旅は、ただ、苦しみから離れることだけを意味するのではないだろう。 現實から離れること、言い換えれば、非現實へ入り込むことであるだろう。日常生活で、彼を迫ってくる問題を拂って、現實で自身を自由にする手段でありながら、心の傷を減らす手段が、主人公においては旅なのである。 二重の失戀とは、過去の失戀に次ぎ、主人公の心に存在した幻影のはつ子が消え失せたことを意味する。どんな旅でも忘れられなかった彼女の存在が消えた瞬間、彼に再び失戀がたずねてきたのである。 汽車の中で出會ったはつ子、彼女を追っていったが、彼女の姿は見えず、影だけが彼を待っていた。Be quick as anothers may be waiting.この文章は、はつ子の幻影を心の中で大事にしながらくらしていた彼が彼女の執着から脫して、自身を發見するという点を示唆する。卽ち、現實の自身を認めて新しい自分の姿を受け入れる、救濟の一面を現わす文章として見てもいいだろう。 作品「二重の失戀」での主人公彼とはつ子との結婚は成立しなかった。だから、確かに失戀小說として見ることが可能であると思う。表面的であるにせよ內面的であるにせよ、作品に表れた主人公の失戀の關連性を中心に見る時、「二重の失戀」は<みち子もの>というジャンルの下に、位置づけが可能な作品に編み入れることができるだろう。同時に、川端文學を理解するため、基本的な要素として救濟の可能性が窺える作品である。
참고문헌 (11)
- "二重の失戀 (『川端康成全集』第21卷 新潮社 1982)", ~ (1982)
- "伊豆の歸り (『川端康成全集』第2卷 新潮社 1980)", ~ (1980)
- "入京日記 (『川端康成全集』第26卷 新潮社 1983)", ~ (1983)
- "獨影自命 (『川端康成全集』第33卷 新潮社 1983)", ~ (1983)
- 川嶋至, "川端康成の世界" (1969), 講談社
- 長谷川泉, "川端康成論考" (1965), 明治書院
- 三枝康高, "川端康成入門" (1973), 有信堂
- 日本文學硏究資料刊行會編, "日本文學硏究資料叢書 川端康成" (1973), 有精堂
- 林武志, "川端康成硏究" (1976), 櫻楓社
- 羽鳥徹哉, "作家川端の基底" (1979), 敎育出版センタ?
- 田村充正?馬場重行?原善編, "川端文學の世界⑤ その思想" (1999), 勉誠出版
