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聖德太子と武威

Shoutokutaisi and his military affairs

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주제분류일본어와문학

초록

Abstract

聖徳太子信仰に信仰は、古代から現代まで、非常に長い間続いている。太子信仰は、平安時代中期から観音信仰と一体化して展開しており、特に、太子=救世観音という考え方は、以後の太子信仰に決定的な影響をあたえていた。観音信仰は、現世利益を中心としつつ、衆生救済という性格をもっており、太子もまた、そうした慈悲深い姿をもって、信仰の対象とされてきたと考えられる。また、伝暦が「殺生を避ける太子」を描いたことにより、そのイメージは一層の拡大を見たと言っていいだろう。 しかし、太子信仰は、決して観音信仰のみで語り尽くせるものではない。特に問題になるのは、太子伝の中に、蝦夷合戦、守屋合戦、新羅侵攻という、三つの大きな合戦が含まれているからだ。現代における太子信仰の中核である「平和を希求する太子」という前提では、太子と戦争は結びつきにくいかもしれない。しかし、古代より続いていた太子伝の世界においては、「武威を示す太子」という像が、観音信仰の一方で描かれ続け、中世太子伝の世界では、それが肥大化した形で示されてもいた。 太子信仰が観音信仰である点は疑いないが、それと並行して、性格の異なる太子像が紡がれていたのである。 本論文では、初期の太子伝において、太子がその武威を示していたことを指摘し、それが、中世太子伝において、物語的な太子伝の描写の中で大きく展開していたことを示した。蝦夷合戦では、単独で敵陣に乗り込み、空を舞い、大石を蹴り飛ばして蝦夷を恐怖させ、武威によって争いを鎮めている太子が描かれていたのである。 また、太子は「張良一巻書」の伝承者ともされていた。これは、中世において伝説的な兵法書として知られていたものである。太子は、仏法を伝えるのみならず、兵法の体得者ともされていたのだ。ここには、とりもなおさず、優れた武人としての太子、というイメージが見てとれる。中世の太子像を考える上でも、興味深い人物造形と言えるだろう。 思えば、戦前の太子研究においても、太子の「武」の問題は、決して軽視されていたわけではない。むしろ、文武両道にわたって力を発揮した人物、という認識もあった。しかし、第二次大戦後、平和憲法のもと、戦争忌避という思想が力を持つようになると、太子の「武」の側面は、あまり関心を払われなくなる。このことは、現在の太子観が、決して普遍性を持った認識だというわけではなく、時代思潮から自由ではないことを逆に教えてくれるだろう。

참고문헌 (13)

  1. "古代の武と文" (1999), 東京大出版
  2. "武士の成立武士像の創出" (1999), 東京大出版
  3. "中世日本の寺院と" (2001), 木書店
  4. "<聖太子>の誕生" (1999), 吉川弘文館
  5. "大和田建樹著万年 日本史譚第四編"
  6. "渡信和1昔之漢朝ノ養由ガヲグ聖太子像の形成-太子記十一をめぐって-(" (1998), 文とその周 和泉書院
  7. "音菩薩としての聖太子" (1999), 聖太子の承-イメジの再生と信仰吉川弘文館
  8. "四天王寺古文書" (1996), 文堂
  9. "聖太子の殺生を避ける太子像" (2003), 古典遺産53
  10. "1聖太子の新羅侵攻譚-輪王寺天海本聖太子に見る護的太子像-" (2001)
  11. "1海を渡った目皇子-中世太子における新羅侵攻譚の展開-" (2002)
  12. "唐大和上東征の究 楓社 1976年7月"
  13. "日本文の究 和泉書院 1989年6月"

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