今樣における漢詩受容-『和漢朗詠集』との關連を中心に-
IMAYO adopting Chinese poetry - Focusing on the relation with WAKANROEISHU -
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Abstract
平安時代の大衆に非常な人氣を博していた今樣は、元來、遊女・白拍子・傀儡子の芸能として榮えたが、後白河天皇の影響によって貴族にも口ずさまれるようになる。今樣の歌詞の多くは伝來のものであるが、当時の貴族の影響により和歌や漢詩文的內容の歌詞が非常に多く含まれることになる。論者は、今樣に受容されている漢詩の典據をすべて調べた。それを見ると、特に白樂天の白氏文集が著しいが、それだけでなく平安時代以來、多くの文學に影響を与え續けた和漢朗詠集所收の漢詩文も多く含まれていることが明らかになり、当時の和漢朗詠集受容の在り方を示してくれる。本論文では、今樣の歌詞の創作における和漢朗詠集攝取の實体を明らかにし、なぜ、分かりやすいはずの今樣の中に難しいと思われていた漢詩が利用されたのか、それには如何なる意味が込められているのかを考察した。 まず、今樣の歌詞の中で見られる漢詩文、特に和漢朗詠集の漢詩から調べて網羅した。今樣の撰集である梁塵秘抄所收今樣・古今目錄抄料紙今樣・宝篋院陀羅尼経料紙今樣・唯心房集所收今樣からその典據となる漢詩を抽出した。それから、朗詠と今樣との關係を明らかにするために、典據となった和漢朗詠集の作者を調べた。その結果、白樂天と元稹以外の作者が日本人であることが分かった。その理由として、俗なるイメージを持っている今樣が知識人の詠む和歌などに比べても何の劣りもしない、れっきとした文芸であることを强く表わすために漢詩を利用したと考えられ、漢詩は中國のものより耳慣れた日本のもの、特に歌謠である和漢朗詠集の漢詩が愛用されたのであろうと論じた。 それから、今樣に攝取されている朗詠以外の漢詩文について考察した。ここでは、漢詩が今樣にどのように取り入れられたのかを中心的に見た。 その次は、「世俗文字之業、狂言綺語之誤」をキーワードにして当時、文學を營むことが極樂往生の妨げになることを恐れて、白樂天の「狂言綺語」觀を以て克服しようとした。たとえば、源氏物語の作者である紫式部が文字使いであるがため、地獄に落ちて苦しんでいたと考えられており、藤原俊成はそれを恐れ嘆く歌歌說が存する。つまり、白樂天から紫式部、それから藤原俊成など多くの文學者たちが惱みを克服するための手段としての利用した「狂言綺語」觀が、今樣を謠う輩にも影響を与えていたのだと結論づけた。
참고문헌 (4)
- "川口久雄他校注 和漢朗詠集 梁塵秘抄 日本古典文學大系73", 岩波書店 1965
- "小島憲之他校注 古今和歌集 新日本古典文學大系5", 岩波書店 1989
- "小泉弘他編 物集 閑居友 比良山古人靈託 新日本古典文學大系40", 岩波書店 1993
- "三角洋一校注 とはずがたり たまきはる 新日本古典文學大系50", 岩波書店 1994
