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夏目漱石?道草?の中心事件と主題性に對する一考察

A study on central matter and subjectivity of 『Michikusa』by Soseki Natsume

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주제분류일본어와문학

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Abstract

<要旨> 夏目漱石『道草』の中心事件と主題性に對する一考察 小說の主題性という文學的現象の解明は、それを探求しようとする讀者․硏究者の知的能力の如何により、その位相の趣を異にする。しかしながら、作品の內部と外部の狀況を一貫する有機的かつ統一的な秩序の中で、文學的本質の究明を試みようとする議論は、より客觀的かつ說得力に富むものに違いない。本稿ではこのような立場․方法に依據し、日本の近代作家夏目漱石(1867~1916)により創作された『道草』(1915)の主題性に對する考察を試みている。 『道草』の中心人物健三は、その過去において、島田をはじめとする親類緣故らによる、拝金性を帶びた僞善性の潛む情義に苛まされており、それが原因して彼らを「不幸な過去」と片付け、個人主義の立場に立っている。ところが、島田との邂逅により再び健三は「不幸な過去」の人間關係のもとへ回歸し、彼の主義․生活は次第に攪亂されていく。しかしながら、健三は、自身が不人情․殘酷ではないかと自覺するほどまでに追い込まれていく中で、島田が纏まつた金を要求する無心を、結局は、度外視することをしない。最後まで島田の要求に可能な範囲で応えて行こうという方向に努力․行動して行く。  健三が「眞に偉大」なのは、「自分の爲に生きて行かなければならない」はずの彼が、過酷に追い詰められた悲境の中で、かような實踐を成し得たということである。言い換えれば、個人主義の彼が最も利己に陷りやすい悲境の中で、利他を發現し得たことが高邁なのである。從って、ここにおいて彼によって、個人主義と道義性との調律が行われていると分析されるべきであろう。  漱石による創作の活動期は、個人主義がかように徒長する搖動の時代に当るのだが、しかしながら、彼の場合、「individualism」や「パーソナリチーの獨立」を無防備に肯定․容認していた譯ではなかった。また、『道草』起筆のおよそ半年前に講演された『私の個人主義』では、『道草』における健三の生き樣に通底する「道義上の個人主義」が力說されており、個性の發現․發展には德義による修養․調整が必要であることが說かれている。  つまり、漱石の考える個人主義とは、自我の發現や發揚を盲目的に肯定見するものではなく、常にして東洋的道理の範疇に羈絆されたイデーなのであり、『道草』はそのような彼による理念性の反映された作品であるに違いないであろう。

참고문헌 (7)

  1. 夫 伯, "夏目漱石『虞美人草』論", 16 (1999), 韓國日本語敎育學會
  2. 夫 伯, "夏目漱石『三四郞』論" (1999), 韓國日本文學界
  3. 夫 伯, "夏目漱石『吾輩は猫である』主題論", 9 (2000), 韓國日本文化學會
  4. 夫 伯, "夏目漱石『坊つちやん』論" (2002), 東アジア日本學會
  5. 夫 伯, "夏目漱石『野分』論", 14 (2002), 韓國日本文化學會
  6. 夫 伯, "夏目漱石『門』主題論", 9 (2003), 東アジア日本學會
  7. 夫 伯, "夏目漱石『心』の主題性に對する考察", 20 (2005)

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