三代集戀歌にみる「雲」詠
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초록
「雲」は氣象上の一つの現象にすぎないとはいうものの、古代の人々にはそれを不思議と見る感性があった。雲や霞や霧は人爲をこえたところの力の働きによってもたらされる表徵であって、つまりは神の世界からの意志の表示という意味を持っていた。「雲」詠は万葉集から見られるが、平安和歌ではどのように詠まれているのだろうか。本稿では從來あまり注目されることのなかった、三代集戀歌の「雲」詠を分析し、「雲」という語彙をもって万葉集から三代集への「雲」詠の表現の変化を探ってみた。 万葉集中「雲」は、觀照的立場からではなく、思慕や戀情の投影、もしくはそれを誘發する媒介として詠まれている。「雲」に對して万葉歌人が抱いたイメージや感懷は、おおよそ二つに分けられる。すなわち、「雲」を嫌惡の對象でみるか、それとも歡迎の對象でみるか、である。「雲」は人の力ではどうにもならない視界の隔てであるとして、戀しい人への忘れがたい氣持や逢いたさなどの哀惜の情を詠うのに用いられている。次に、「雲」を戀人を偲ぶよすがとしてとらえて詠う詠法がそれである。さらに、二通りの詠じ方に伴い、配合される景物は、主に「月」と「山」とに限られている。 このような万葉の「雲」詠とは違って、古今集を含んだ三代集では、斷絶を一層際立たせるものとしての「雲」歌が目立つようになる。万葉集の「雲」が實景であるとすれば、古今集以降のそれは虛像に基づいているといえよう。つまり、万葉集の「雲」が、空に實在する雲への感懷を媒介として、心理的․空間的距離感を物ともせず突進する丈夫ぶりの戀を形象化しているのに對して、古今集以降の「雲」は、相手の存在や實体の不確かさゆえのあてどない戀を象徵的に表している。 直接体驗に基づく戀愛心情の表出が中心を占めていた万葉時代をすぎて、三代集の戀歌は、戀愛そのものが對象化され「物」化されてくる。戀愛は自己のなまなましい感動ではなくして靜かにながめ反省させられるものとなり、これにより「雲」詠は消長を繰り返しながら、他の雅な歌語との組み合わせが試みられるようになる。要するに、自然の人事化と、人間關係から自然を把握するといった側面により多くの比重が置かれ、「雲」の語だけでは王朝の知的客觀的な要素に欠け、みやびの世界へと芸術化されるには至らないことから、樣々な歌語と一緖に詠み込まれるようになったと考えられる。何よりも、「雲」は宮廷歌人たちの伝統的な美意識と深くかかわりを持てなかったことにより、確固たる歌ことばとしての地位を確保することができなかったと言えよう。
참고문헌 (9)
- 靑木生子監修, "万葉ことば事典", pp.172~173 (2001), 大和書房
- 伊藤博, "万葉集 上卷", pp.170~ (1990), 角川書店
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- 寺田惠子, "万葉ことば事典", pp.171~ (2001), 大和書房
- 新編國歌大觀編集委員會, "新編國歌大觀" (1986), 角川書店
- 鈴木日出男, "古代和歌における心物對応構造─万葉から平安和歌へ─", 國語と國文學, (553), pp.1~21 (1970)
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- 仁平道明, "挽歌の戀歌─鎭魂儀礼․鎭魂表現としての"戀"", 國文學, (758), pp.50~51 (2007)
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