카와바타 야스나리(川端康成)의 『산 소리(山の音)』 考察 - 삶의 자각과 구제를 중심으로 -
A Study of KAWABATA YASUNARI's The Sound of the Mountain
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초록
本稿は、主人公である信吾の、女性に対する憧憬や夢を通した救済への期待、そして自然との一体感を通して現実の自分自身を悟り、ありのままの現実を受け入れて行く過程を考察してみた。 作品の中で菊子のもつ意味は、現実世界における喪失と生涯の決定という挫折、そして苦痛の中から新しい希望のおとづれを待ち望んでいた信吾にとっては、美しい保子の姉の代わりであり、夢を媒介に保子の姉をこの世に呼び出してくれる靈媒としてある。また、恐怖の中から心の安らぎをとりもどし、新しい希望をふきいれてくれる暗さの中の光りのような救済者のようなイメージとして存在する。そしてこの菊子と一緒にたとえ夢ではあっても心やすらぐパラダイスのような故郷信州に帰ることができ、妻の姉と再会することができるのである。すなわち、過去における満たされなかった愛の欲望を満たしてくれる存在なのである。 そして信吾は、自然の神聖な霊気が心的葛藤に伝わってきて、新しい生命と希望が吹き込まれるという自然の再生力を体験するようになる。このようにくりかえられる夢と自然とは、老いぼれていきたくない、若返りたいという願望の充満と、心の安らぎとを得ようとする信吾自身には救済の意味として現れるものである。 このような一連の体験が一過性の経験で終わるとしたら信吾には何の意味もないだろう。しかし信吾はそのような経験を通して自分自身の生を悟るようになる。信吾は、川の流れに身をゆだべて死に向かって行くことすら知らないまま、産卵のために川に帰ってくる鮎に自分自身を映すのである。このような一連の体験を通して自己の生を自覚し、現実の中で自分を認識して、現実に安住するようになったのである。 作家の人生観が反映されている私小説的発想にその視点をおくとすれば、ꡔ山の音ꡕは主人公の信吾を通して救済への試みがためされた作品ではないかと思う。現実の重みに苦しんでいる人間がある時点を機に悟りを認識したのである。自分自身の存在を再確認、現実をありのまま受けとめようとする心情の表出なのだろう。また、否定的な方向でなく肯定的な方向と、生への意志をもたせようとする救済の試みという意味をもつ作品として理解できるだろう。
