唐.太宗期の韓半島三國と中國との外交交涉史料
On the Diplomatic Documents between China and Korea in the Early Tang Period
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6世紀末から7世紀半ばにかけて、中国と高句麗は4度にわたって戦火を交えた。このうち、唐第2代太宗による高句麗遠征に関連して、日本に重要な史料が伝えられている。高野山正智院に伝わる鈔本文館詞林巻664に収錄された「貞観年中撫慰百済王詔」と「貞観年中撫慰新羅王詔」の2首の詔勅がそれである。同鈔本は、弘仁14年(823年)に嵯峨天皇が冷然院の蔵書とするために平安京校書殿で鈔写させたもので、文館詞林がすでに散逸したことを考えあわせれば、その史料的価値は極めて高い。 両詔勅は、その内容から見て、明らかに唐の太宗から百済王と新羅王に宛てて発せられた国書である。目的は、唐が高句麗に対して軍事行動に出るにあたって、百済․新羅両国に外交上の布石を打つことにある。具体的には、①唐は水軍を平壌に、陸軍を遼東に向けて派兵したこと、②百済軍․新羅軍は唐の水軍を率いる将軍の指揮下に入るべきこと、③この戦争は、非道の者を討伐して三韓の地に平和をもたらすためとする戦争目的の表明、④関連する事務上の種々の連絡、等々が述べられている。書式から見て、慰勞制書として発せられた文書である。 そこで、これらを他の史料と照合してみると、百済宛て国書は、貞観19年(645年)正月の賀正使として來唐した百済太子扶余康信が、唐から百済に帰国する際に手渡された国書であり、一方新羅宛て国書は、同年の新羅からの賀正使が2月に帰国の途につき、その際に唐側の使節が同行して彼らによって新羅にもたらされた国書であると思われる。緊迫した国際情勢を背景にして、当時はどのように外交交渉が行われていたかをうかがわせる、貴重な史料である。戦争開戦に際しての複数国家間の意志通達のあり方は、今日の国際紛争を想起させるものがあろう。
참고문헌 (3)
- "唐の北方問題と際秩序" (1998), 汲古書院
- "唐朝給の書一" (1999), アジア遊3
- "古代東アジアの民族と家" (1998), 岩波書店
