『헤이케모노가타리』(平家物語)에 나타난 모치히토오(以仁王)의 거병사건
Mochihito-O's Rebellion Case in Heikemonogatari
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本稿では以仁王及び源頼政の引き起こした挙兵を平家物語ではどう描いているのかその叙述を分析し、歴史性や虚構性、叙述意図などを探ってみようとした。平家物語では武士の源頼政が挙兵の主体となってい て、頼政が後白河法皇の第二王子の以仁王を誘ったかのように叙述されているが、当時の史料を探ってみると、七十歳を越えた頼政には挙兵の動機があまり目立たないのに対し、皇族の以仁王には平家のため度々先が絶たれて怨みの募ったことが多かったことが分かる。 挙兵のもう一つの要因として、平家の軍事的独裁政治に反抗する地方の武士たちが集結し、反平氏勢力を形成したことも背後勢力として認められるが、露見後は挙兵威力が集まらなかったことをみると、それよりもっと直接なのは平家の勢力と権門寺院との間にあった深刻な摩擦であったと判断される。即ち、三井寺が反平氏の急先鋒になった理由は,既存の王法仏法の国家体制に改変を迫った清盛の政変と、権門寺院を軽視した高倉院の厳島御幸により権門寺院は深刻な体制的な危機意識を抱くことになった が、さらに意図的に山門との関係を絶ち,三井寺との結合を強化してきた後白河院政が清盛の政変により停止されたため、三井寺は他の寺院に協力を求めながら挙兵を起こしたことと分析されている。このような寺院の利害関係は以仁王の不運とも相まって三井寺と以仁王は協力するようになったと判断される。この事件の事後の処理として、平家は頼政と以仁王を討ち死にしたことにとどまらず、三井寺だけでなく奈良の東大寺までも焼き払ってしまったが、それを平家物語の叙述どおり、平家の単純な失敗からのことであったと理解するのは無理だからである。 これは失敗した挙兵なのだから、当代の皇室の最高の大物であった後白河法皇の皇子が謀反を起こしたが失敗し、討ち死にされたとか、この失敗した挙兵に王法仏法の本山の大寺院がはじめから加担したとは、叙述しがたいことであったと判断される。このような事実をそのまま叙述するのは鑑戒の精神に反するため、武士の源頼政が平家に私的な憤怒を抱いて謀反を起こそうと以仁王を誘ったのであり、三井寺の方は皇子からの懇請を振り切ることができず、助けたというふうに叙述されていると判断される。
참고문헌 (5)
- "延慶本 平家物語"
- "平家物語の虛構と眞實" (1985)
- "平家物語全注釋" (1967), 中卷 角川書店
- "平家物語を讀む成立論をさぐる" (2000), 和泉選書
- "安田元久 源平の爭亂 新人物往來社 1987" (1987)
