사타 이네코(佐多稻子) 『허위(虛僞)』論 - 전쟁책임 비판을 중심으로 -
A Study of ineko sta's “falsehood theory”-A center of on responsibility of the war-
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Abstract
本稿では、佐多稲子が自分の戦争責任を批判した虚偽を中心に、知識人の戦争責任の批判について考察した。佐多稲子は1942年軍の徴用により林芙美子、小山いと子、水木洋子、美川きよ等とともにシンガポールとスマトラに戦地慰問をした後、メダンに長期滞在してから、翌年春に帰国した。 終戦になって開放感に満ちている中で、友達が自分を戦争協力者と見ている事に気付くようになる。佐多は自分の戦争責任を追及する中に、南方での戦地慰問の経験を虚偽で告白している。シンガポールは一応の戦闘が終わって軍政が敷かれた状況だったので、南方見物に過ぎなかった。戦後、佐多稲子は自分の戦争中の行為に恥を感じてはいなかった。しかし1945年12月、新日本文学会の創立に加えられなかった時、自分の戦争責任の問題にぶつかってはじめて、それに対する疑問や悲哀や羞恥などで自分を責めるようになった。 戦争への協力は、思想的なプロ作家として敗北感を伴わず、逆の心理の内に行われた。戦争協力という敗北は、民衆の悲哀の外にはいたくない、という一種の「隠れみの」を借りて妥協の道を歩くようになって、自己崩壊を招いた。年枝は「隠れ蓑」でぬけぬけ演技したり、戦争の生々しさに巻き込まれて兵隊を見て涙に崩れた自分の恥を、戦後になって告白している。何故年枝は戦後になった時、戦争責任の批判の的になったのか。その屈折のゆくえを追求しながら、新日本文学会の同僚が従軍した作家達を責める資格をもっているのかに対する疑問も重ねて提起している。知識人の戦争責任は自ら負わなければならないという疑問点が含まれている。
참고문헌 (6)
- 평민사, "한국문학연구회 1930년대 문학연구" (1993)
- "自分について" (1979)
- 小林三恵子, "昭和十年代の佐多稲子" (2005), 双文出版社
- "同志社?文?" (1984)
- 渡辺澄子, "女性文学を學ぶ人のために" (2000), 世界思想史
- 小林広子, "佐多稲子と戦後日本" (2005), 七つ森書館
