漱石の〈開化〉と春園の〈改造〉をめぐる比較考察-『二百十日』『野分』と『소년의 비애(少年の悲哀)』『어린벗에게(幼き友へ)』を中心に -
Comparative Study on Natsume Soseki`s 'Civilization' and lee Kwang-su's 'Reformation" -Focusing on "The 210th Day","NOWAKI(Typhoon)" and "The Boy's Sorrow","To the Young Friend"-
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Abstract
留学を通して他国の近代化を目の当たりにした漱石と春園は、それをきっかけに自国の近代化にも目覚め、近代化をテーマとした数多くの小説を執筆する。本論文では日本と韓国の代表的な近代作家である漱石と春園における近代がいかなるものであったのか、とりわけ、〈開化〉と〈改造〉を両作家がいかに受け止めていたのかを、『二百十日』『野分』と『少年の悲哀』『幼き友へ』を通して比較考察した。 『二百十日』と『野分』は不平等な日本の近代社会を描き、平民を苦しめる〈華族〉と〈金持ち〉が牛耳る権力と金力中心の近代社会を鋭く批判する。それは内発的な〈開化〉ではなく、外発的な〈開化〉を齎し、その外発的な〈開化〉 は歪んだ日本の近代化を生み出すからである。漱石はこのような日本を英国の〈奴隷〉であると表現する。漱石は腐敗している日本の近代社会を〈頭〉で行う革命、取りも直さず〈筆〉の力で〈開化〉し、その〈開化〉の根本にあるべき〈人格〉の培養を主張する。その〈人格〉の養成こそ歪んだ日本の近代社会を直し、その中を生きていく個人を救える唯一の道であると作者が考えたからである。一方、『少年の悲哀』と『幼き友へ』は朝鮮の近代社会に混在している近代化のありさまを描き、前近代的な儒教制度の残存を批判する。前近代的な旧制度の弊害を告発する春園は、朝鮮は立ち遅れた〈改造〉によって植民地になってしまったと述べ、文明化を獎励する。そして旧慣習から逃れられない朝鮮を儒教的な慣習と道徳の〈奴隷〉であると表現する。春園はこのような朝鮮社会には何よりも〈犠牲の精神〉、〈献身の精神〉を生成してくれる真の〈愛〉が必要であると語る。それは〈愛〉の受容と〈愛〉の培養こそが植民地である朝鮮を救う道であると作者が考えたからである。 以上、『二百十日』『野分』と『少年の悲哀』『幼き友へ』を通した考察によって漱石と春園の〈開化〉と〈改造〉に対する異なる立場が明らかになった。このことは、両国の近代化の中で苦闘した二人の作家像、ひいては両国の近代化のあり方を追求していくのに重要な意味を持つと思われる。
참고문헌 (9)
- "한국근대문학의사조사 한국방송사업단"
- "이광수와 그의 시대1" (1999), 솔출판사 ソル出版社
- "초혼의 악습 조선가정의 개혁"
- "소년의 비애"
- "혼인에 대한 관견 婚姻に対する管見"
- "이광수의 단편소설론 이광수연구하", pp.661~671
- "이광수 초기단편소설 연구", pp.57 93~112 (2001)
- "이광수문학사전(李光洙文学事典)" (2002), 고려대학교출판부
- "서사구조와 사건의 결합양상― 의 경우", pp.37 1~16, 이화여자 대학교출판부
