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漱石の開化論と春園の改造論

Comparative Study on Natsume Sôseki's 'Civilization' and Lee Kwang-su's 'reformation' - Based on records of lecture, essay, etc.-

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주제분류일본어와문학

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漱石はイギリス留學を通して、日本の近代化の矛盾などを客觀視する力が養成され、日本の「開化」の弊害を暴いていくが、その視線はすでに帝國大學の在學中からあったと言える。漱石は「中學改良策」(1892年)の中で日本の近代化の矛盾を指摘しており、このような視点は漱石の日本の「開化」に對する總括とも言える1911年の「現代日本の開化」まで変わることなく、繫がっていくのである。漱石は不自然で、形式的な日本の「開化」の矛盾を、堅實な敎育の土台なしに、つまり、內在的な基盤なしに西洋文明を吸收したため齎された結果であると指摘している。漱石は專ら西洋化していく日本の近代化を批判し、近代化の結果として生まれた華族と金持ちなどを中心とする黃金万能主義及び彼等による歪んだ近代化を否定する。漱石はこのような歪んだ近代化が生み出した日本の「開化」の弊害を指摘し、それに對する對案の模索のため苦心する。しかし、いくら神経衰弱になるほど惱んでも名案がないと述べ、日本が「內發的な開化」をしていくしかないと結論を出す。 一方、春園は日本留學を通して近代文明に接し、朝鮮の近代化の遲れを指摘する。そのため、春園は朝鮮の前近代的な慣習である結婚制度、階級制度などを破壞し、近代化することが何より急務であると主張する。それは日本のような文明國を建設し得なかったため植民地になってしまったと考え、植民地から獨立するためには朝鮮も他の文明國のように「改造」していかなければならないと考えたからである。春園は日本を手本とし、日本のような物質的「改造」を主張するが、1919年3月1日の獨立運動 (「三․一運動」)の失敗後、それだけでは朝鮮の獨立には無理があることを悟るようになる。その結果として、春園の打ち出した理論が「民族改造論」(1922)である。これは、いくら物質的な近代化が進んでも朝鮮の個々人が進步しない限り朝鮮の解放は達成されないという考え方から打ち出された理論であり、朝鮮の個々人の「道德的改造」を指向することである。また、このような「改造」は朝鮮の8割を占めている農民を「改造」するための一つの手段でもあったのである。すなわち、「民族改造論」は兩班階級及び知識階級を「改造」し、この「改造」された彼等を通して農民を「改造」していくことを目指すものである。これにより、朝鮮の獨立という目標が達成できると主張するものである。これが春園の出した「改造」の結論であると言える。

참고문헌 (5)

  1. "李光洙と彼の時代1" (1999), ソル出版社
  2. "李光洙と彼の時代2" (1999), ソル出版社
  3. "李光洙文學事典" (2002), 高麗大學校出版部
  4. "漱石文明論集、岩波書店" (1986)
  5. "漱石文明論集、岩波書店" (1986)

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