助動詞「(ら)れる」の用法の?遷 -自發と受身-
Changes of the usage of an auxiliary verb "Rareru"
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Abstract
本稿は、助動詞「(ら)れる」の諸用法の轉化關係を明らかにするとともに、当該助動詞の根元的意味を追求する過程にある考察である。本稿では<自發>と<受身>の轉化關係を先行硏究を取り入れつつ助動詞「(ら)ゆ」と「(ら)る」の關係の中で私見をのべた。その主旨をまとめるとつぎのようになる。 ⒜能動文と受身文を主語と目的語の入れ換わりとみて、新主語の位置におかれ る旧目的語に着眼点があるというように、主語と目的語とを別個に考えていたのでは受身文の性質を捉えきれないのではないだろうか。對応する能動文をもたない受身文の場合、そもそも視点の移動はない。 ⒝受身文を主体と客体の二つの視点を同時に表わす、事態と話し手との關係付けであるとみる。 ⒞「(ら)る」受身根源說は「(ら)ゆ」を考慮にいれないで「(ら)る」の用法の分布(の片寄り)による結果であり、「(ら)る」自發根源說は「(ら)ゆ」との關わりを考慮にいれての結果である。 ⒟「財布をとられる」「犬に吠えられる」「先生にほめられる」といった類いの受身の表現は、自分が關与しないのにある動作によって、自分がある狀態におかれるという点で自發的受身の性質がみとめられること。日本語の受身表現には自發の要素が含まれているということである。 ⒠「(ら)ゆ」の自發表現は、言語主体に外的狀況によってある出來事が意思せずとも自然に實現することをあらわすものであること。 ⒡{動詞+助動詞「ゆ」}による受身は、表現主体の意志或は希望と無關係に、他の力、他の意志によって事態が實現することをあらわしている。ここに自發的受身をみることができる。 ⒢「(ら)ゆ」は自發を、「(ら)る」は受身を、主にその領域として棲み分けしているように見える。 ⒣「(ら)ゆ」と「(ら)る」は、出自が「ユ語尾動詞」と「ル語尾下二段動詞」でそれぞれ異なっているので当然「(ら)ゆ」から「(ら)る」への変化は形態の交代である。 ⒥日本語には受身專用の表現があって、これは<視点の原理>では說明しきれないところがある。これは「私」というあらたな視点の登場があり、人間とかかわりをもつこと。
참고문헌 (4)
- "日本語はなぜ化するか" (1999), 笠間書院
- "日本語の形態" (1998), ひつじ書房
- "助動詞 の用法の遷─自發と可能─" (2004), 、韓國日語日文學會
- "日本語の視点" (1995), 創拓社
