나쓰메 소세키가 본 한국-「만주와 한국 기행일기」를 중심으로-
夏目瀬石が見た韓国 −「満韓紀行日記」を中心として−
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초록
2009年には夏目漱石が満州と韓国を旅行してから100年目を迎えたし、2010年には『門』を発表して100年目を迎えた。このような意味から漱石が見た100年前の韓国を改めて考察してみる必要性が要求されていると思った。本稿では、漱石が実際に経験した韓国について「満韓旅行日記」を中心として考察してみた。漱石が景福宮を「大院君の建物」と書いたところから、景福宮の重建に大院君が大いに関ったことがわかっていたと見た。漱石は景福宮を「静かなものなり」とだけ書いただけで、明成皇后のお住みでありながら、乙未事變が起った建清宮の様子には一言も触れなかった。ほぼ同じ時期に韓国旅行をした高濱虚子と田山花袋は景福宮と建清宮の様子を描き、その当時の韓国の状況も触れていたのに比べて、漱石はほとんど触れなかったことがわかった。初代統監伊藤博文が宮島によく行ったことと結びついてみた。漱石は明成皇后の政敵としてみた大院君を日本側と考えたのであろう。だから。石坡亭を宮島とたとえて表現したと見た。漱石は明成皇后のお墓でポプラーを印象的に見たことがわかった。そのポプラー素材にして漱石は和歌を作った。それはその当時の海外での日本人の進取力と発展力を強調するためであったと見た。漱石は揺れているポプラーの様子を当時の韓国を隱喩していたと見た。『門』では、伊藤博文の狙擊事件についてもなるべく回避しようとした。それには、門から安重根義士を隠蔽させたい漱石の意図が見えたからである。そのため、高浜虚子に比べると漱石の門からは安重根という名前が一度も出てこなかったのである。景福宮は2007年に復元されたし、建清宮も復元され公開されることもあった。2010年には、安重根義士逝去100年目を向かえ、韓国ではさまざまな行事が行われた。漱石が100年前に見た景福宮の様子は今はほとんどない。また、漱石文学に隠蔽された安重根義士も復活されたのである。
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