『마음(こころ)』과 『죄와벌(Prestuplenie I nakazanie)』의 죄의식 양상 고찰-에고이스트들의 죄의식을 중심으로-
『こころ』と『罪と罰』の比較文学的考察
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초록
本稿は夏目漱石の『こころ』とドストエプスキーの『罪と罰』に表れている主人公の罪意識の様相について比較文学の類似対比研究の視点から論じたものである。ここではこの二人の作家の間の事実的な影響関係は排除して作品の中に表れた人間の心理的な推移を問題意識にし、そのなかでも二つの作品で中核をなす罪意識の問題に着眼し、それがどのような様相を呈するのかを分析してみた。その過程はそれぞれ主人公の罪意識が形成された動機、罪意識の中での葛藤または深化、そして罪意識の帰着点に分けて比較、考察することによって進まれたが、いくつかの類似点と対比点を提示することができた。『こころ』はエゴイズムから脱皮できなかった悲劇的な主人公である先生の人生と、人間の心の中に潜んでいる真実の醜さを暴いた作品である。先生はKの自殺の後、罪意識を持つようになったし、その罪意識から脱するために自殺を選択、自殺の方便として明治時代の精神という価値体系を利用しようとしたと思われる。ドストエプスキーの『罪と罰』は、「犯罪の心理学的解釈」で呼ばれるほど犯罪が犯罪者の魂に及ばした影響について緻密な構成で描かれている作品である。ドストエプスキーは作品の中で、主人公ラスコリニコプを通して理性万能の西欧式合理主義的な思考の論理的な限界と破綻を表している。ところで、ラスコリニコプは自分の思想を実験するため殺人したことから先生の同じようなエゴイストであるが、思想、そのものは彼にとって現在の生き方の方便として利用されたので、先生とは違うと言える。また作家は売春婦ソニャを通しても思想を代弁しているが、傲慢な人間、ラスコリニコプがその理性を過信する合理主義の病弊から脱するようにキリスト教的な救援の手をさしのべる希望の結末になる。人間の普遍的な感情の問題の一つの罪意識について比較してみた本研究は、主人公たちが徹底なエゴイストであることが再確認される過程であり、結局、『こころ』と『罪と罰』に表れた罪意識を含めて人間の普遍的な感情は文学の最も基本的な前提になるゆえに、比較文学の類似対比研究の領域は素材と観点から見ると限界がないし、このような研究は作品をもっと深く理解できるのに役にたつと思われる。
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