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1930년대 일본 문학에 있어 「야만」에의 공명을 둘러싸고 — 오시카 다쿠(大鹿卓)『야만인(野蠻人)』ㆍ다니자키 쥰이치로(谷崎潤一郎)『무주공비화(武州公秘話)』ㆍ야마베 가즈코(山部歌津子)『번인 라이사(蕃人ライサ)』를 중심으로 —

1930年代日本文学における「野蛮」への共鳴をめぐって - 大鹿卓 『野蛮人』ㆍ谷崎潤一郎 『武州公秘話』ㆍ山部歌津子 『蕃人ライサ』を中心に -

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주제분류일본어와문학

초록

大鹿卓 『野蛮人』、谷崎潤一郎 『武州公秘話』、山部歌津子 『蕃人ライサ』という1930年代に書かれた三作品を中心に、1930年に起こった霧社事件報道により強化された台湾原住民族 = 「野蛮」 という言説と対立しながら、各作家が如何に 「野蛮」 を捉え、それをむしろ自己内部の問題として共鳴を語ってきたか、ということを論じて来た。谷崎の問題はひとまず脇に置くとして、最後に、直接的に台湾原住民族を描こうとした 『野蛮人』、『蕃人ライサ』、さらには津島佑子 『あまりに野蛮な』 に一つの疑問を呈してまとめに代えたい。これら三つのテクストが、原住民族表象を「植民地台湾に対する野蛮未開の想像を可視化するための触媒」(楊智景)としてのみ機能させていた数多の粗雑なエクリチュールの中で、屹立した成果を示したものであることは間違いあるまい。だからこそ、前述にように研究者は「日本と台湾が持っていたそれぞれ異なる 「台湾植民地像」 は、実際にオーバーラップしているという可能性」(呉佩珍)や 「日本の理蕃政策および霧社事件への批判」(河原功)、「「日本」=「文明国」/「蕃人」 = 「野蛮な種族」 といった、両者の絶対的な関係を解体しようとする異色の作品」(李文如)を読み取り、高く評価するのである。ただ、かつてレオㆍチンは全国大衆党の河上丈太郎ㆍ河野密が台湾民衆党の協力により調査執筆した霧社事件告発レポート「霧社事件の真相を語る」(『改造』1931.3)を分析、「河野と河上は彼らが告発した総督府の植民地的中傷の裏面を、原住民の感傷的理想化という形で、再生産している」と同時に、文明/未開、支配/被支配という植民地的差異によって知識のモードが限定されている彼らには、感傷的理想化に 「注意する」ことすら 「思考不可能」 であったのだ、と論じたが、その批判はこれらのテクストにも当てはまりはしないだろうか?「自分の領分を失なったミーチャはモーナㆍルーダオに身を寄せずにいられなかった。」(上342)としても、田沢が 「野蛮人」となって蕃社の 「男」、老頭目のイバンタイモの 「息子」としてのアイデンティティを再獲得したとしとしても、それは 「文明/未開、支配/被支配」の構造自体を揺るがせるものではなく、植民地的差異を再生産しているだけではないのだろうか? それが本稿の執筆中、決して消えることのなかった呪詛とも言うべき疑問であった。では一体どのような方策があるのかと絶望しつつも書き続けた本稿ではあるが、高麗大学におけるシンポジウムを契機として新たな地平が垣間見えることを期待して、答えは空白のままに提出しようと思う。

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