太宰文学における中期の姿勢 -「皮膚と心」と「きりぎりす」を中心に-
The attitude of the middle dazai
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「皮膚と心」(昭和14年11月)と「きりぎりす」(昭和15年11月)を照合し、共通点を引いてみた。戦時下という時代性は当然なことであるが、表面に命をかけている妻、表面を飾るデザイナーという旦那たちの職業から、戦争への批判精神があるのではないかと思うこともできる。しかし、この作品を通して見てみたいのはその時代性から文学として可能性を探りたいのが基本モチーフなのであった。「皮膚と心」の彼女は感情の起伏が激しかった。それは、表面に命を掛けて生きている女の《鈍感な白痴》のように読み取れ、生きていく目的が《一刻一刻の、美しさの完成だけ》であった。また、「きりぎりす」の彼女は昔から理想のように思っていたタイプの旦那と結婚したプライド高い女性であった。彼は〈私〉にとって《美しい人》であり、《天使》であった。さらに、金銭にはまったく《無関心》で、《俗世間に汚されず》に生きていた人であったが、だんだん自分の絵が売れるようになってからは変わってしまったのである。《唯我独尊》の彼が好きでたまらなかったのに、《不潔に濁つた声》の《いやな、お人》になってしまい、がっかりしていた。〈私〉なりの理想を持ち、その理想を追い掛けていた或る日、《私の背中の中で小さいきりぎりすが鳴いて》いた。なぜ、〈私〉にきりぎりすの声が聞こえてきたのだろうか。それは〈私〉の希望と理想通りの彼でなくなってきたのは事実であったが、でも、信じていきたい気持ちはまだ持っていたという彼女の隠されていた声ではなかっただろうか。信じたいという気持ちがあったからこそ、聞こえた声であり、この声が聞こえたからこそ、〈私〉の支えとなり、生きて行こうとした希望が存在できただろう。確かに、その信頼がなければ、きりぎりすの声は聞えなかっただろう。つまり、この両作は戦時体制が強化され、忠実な自己の生き方を捨てて作家として生きて行こうとしていた太宰の信念が隠されていた作品であった。世間のことを気にし、何も書けなかった「ぺん部隊」の存在の上で、「原稿商人」としての作家ではない《唯我独尊》の姿勢で生きたかった太宰の執念があっただろう。きりぎりすの《幽かな声を一生忘れずに》、その声を聞き続けることがこの世がたとえ間違っていても生きていける目的であり、当時の作家としての希望と中期の生きる道であり、文学としての可能性が伺える作品であった。
참고문헌 (9)
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- 山内祥史, "太宰治著述総覧" (1997), 東京堂出版
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- 東郷克美, "太宰治という物語", pp.134~ (2001), 筑摩書房
- 北川透, "〈女性〉一人語りと戦争」―太宰治「皮膚と心", 日本文学研究第三七号, ~ (2002), 梅光学院大学
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