石川淳の『白頭吟』論 -晋一の孤独に見る革命的事件ついて-
『Hakutogin』theory
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초록
『白頭吟』は同時期に発表された氏の文学に於て必ずしも完成度が高いとはいえない。というのは、いわゆる革命小説群―1950年代に書かれた『鷹』、『珊瑚』、『鳴神』、『虹』、『落花』、『紫苑物語』、それから『八幡縁起』、『修羅』などが書かれた時期にあり、特に『鷹』や『紫苑物語』、『修羅』と照らし合わせれば多少劣るという意味である。『鷹』の国助が自分達の手で歴史の壁を打ち破り、明日を建設していく意味の「明日語」からの革命運動の姿や、『紫苑物語』では宗頼が「知の矢」と「殺の矢」に開眼し、「魔の矢」へと上昇していく自己実現の凄まじい精神的運動、そして『修羅』の胡摩からは如何なる歴史、権力、秩序、階級をも否定し、人民の生活を取り戻そうとする無限の運動と引き比べれば、主人公の晋一の運動は比較的に劣っているように見える。晋一の自己省察は「恋愛」に始まり、役者という自己を演じる精神に上昇し、一言も発しない「ハリボテ」の演技を感得していく精神運動として描かれており、上記の作品に窺えるような強靭なエネルギーの強弱の謂で、決して本作品の文学的価値が劣るという意味ではない。晋一の自己認識によって辿り着いた「ハリボテ」は一見微弱であり、ある意味老子の『道徳経』に見る「玄徳」の一面も垣間見れるが、それとは異質に『修羅』の無限に繰り返される胡摩的運動や『至福千年』の明日のために走っていく一角の運動に引き継がれていくそれとして大きな意義を持っている。要するに、晋一に於ける「孤独」―「ハリボテ思想」とは、商山に見る観察者、あるいは認識者としての傍観者の位置に精神の運動を置いている。換言すれば、晋一の自己との闘いは今置かれた国土ではもはや革命的事件を引き起こす可能性は絶たれているが、それはいつかは成し遂げなければならないものとして、またそれは可能だという認識に於て意味を持っている。「必ずしも体制が悪いからじゃないんだ。体制があるからそれをぶちこわす」(「革命とはなにか」)という革命的事件を引き起こすことが彼の運動でもあるからだ。ただし、それは人民の流血を要求する暴力によるものではなく、精神的事件を意味している。故に『白頭吟』は晋一の永遠なる自己との闘い―革命的事件とアナーキズム的世の中の実現への夢をいつかは成し遂げなければならないその可能性を書いたものである。それは作品の末尾の「外国の旅はもうはじまつたにひとしい。ここもまた世界の片隅ではないか。遠く年をへだてて、どこかの見知らぬ国にたどりついて、たまたまその土地の博覧会にめぐりあはせて、ぼんやり観覧車に乗つてゐる自分のすがたを、晋一はいちはやくさとつた。あたまはすでに白髪」云々は、『修羅』に見る一休宗純―「笠かたむけて、門より踏み出し、ここはいくさのまんなかに立てば、行くところの林泉は杖のさきにあり、人間はすなはち目のうちにあつた」ような認識者としての傍観者の姿に等しいということからでも充分見て取れる。
참고문헌 (18)
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