『風立ちぬ』試論-初出版風立ちぬを讀む-
A Study of Kazetachinu -reading the first edition of Kazetachinu
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『風立ちぬ』試論 ー初出版「風立ちぬ」を讀むー 堀辰雄の代表作『風立ちぬ』は、「序曲」「春」「風立ちぬ」「冬」「死のかげの谷」の5章で構成されている。作品を構成するこれらの各章は、当初から一連の作品構想によって書かれたのではなく、實に3年の月日を書けて、それぞれ獨立した短編小說として書かれた作品だったのである。しかし、從來の堀辰雄硏究では、後に『風立ちぬ』の各章を成すこれらの短編小說を完結版『風立ちぬ』の下書き、或はその未完成の形態としてみなし、これら各章の短編小說としての讀みの可能性を抹消し、專ら完結版『風立ちぬ』のみを堀辰雄の“風立ちぬ”として取り扱ってきた。だが、堀辰雄が自ら編んだ作品集を見ても、むしろ作家は多樣な形態の“風立ちぬ”を世に出してきたのであり、これらの初出形態の作品をそれぞれ自立した一編の短編小說として扱ってきたのが窺えるのである。從って、本稿では、堀辰雄が初めて“風立ちぬ”という題目を附けて雜誌に發表した雜誌初出形態の「風立ちぬ」を短編小說とみなしその作品分析を試みた。 その分析結果、初出版「風立ちぬ」の語りが死者への呼びかけから始められていることや文体の特性が時間へ抵抗的なことなどからして初出版「風立ちぬ」が「鎭魂的な要素」を多分に持っていることを明らかにした。節子は死に行く者として「今の生活」に滿足していることを自ら語り、この節子の言葉によって生き殘る者である〈私〉は「もっと切ない感動」を得ることで初出版「風立ちぬ」の物語世界は終わる。物語世界のなかで語られている〈私〉が節子の死を追体驗した後、最終的に彼女によって新たな「幸福」を見出している物語世界內の〈私〉とこの物語を語っている語り手「私」との距離は狹められることで初出版「風立ちぬ」の語り自体も閉じられていくのである。このように、初出版「風立ちぬ」の特徵として、物語世界においても語りにおいても、自己完結的に閉じられていることを擧げられるのである。
참고문헌 (8)
- "動物化するポストモダンーーオタクからみた日本社會" (2001), 講談社現代新書
- "暎畵の精神分析" (2003), 晶分社
- "デリダ――もうひとつの西洋喆學史" (1995), 岩波書店
- "主體の後に誰が來るのか" (1996), 現代企畵室
- "フロイト着作集" (2001), 人文書院
- "ユリイカ――「宮崎駿『千と千尋の神隱し』の世界――ファンタジーの世界", (8月臨時增刊號) (2001), 靑土社
- "初から一連の作品構想によって書かれたのではなく、實に3年の月日を書けて、それぞれ獨立した短編小說として書かれた作品だったのである。しかし、從來の堀辰雄硏究では、後に『風立ちぬ』の各章を成すこれらの短編小說を完結版『風立ちぬ』の下書き、或はその未完成の形態としてみなし、これら各章の短編小說としての讀みの可能性を抹消し、專ら完結版『風立ちぬ』のみを堀辰雄の“風立ちぬ”として取り扱ってきた。だが、堀辰雄が自ら編んだ作品集を見ても、むしろ作家は多樣な形態の“風立ちぬ”を世に出してきたのであり、これらの初出形態の作品をそれぞれ自立した一編の短編小說として扱ってきたのが窺えるのである。從って、本稿では、堀辰雄が初めて“風立ちぬ”という題目を附けて雜誌に發表した雜誌初出形態の"
- "に滿足していることを自ら語り、この節子の言葉によって生き殘る者である〈私〉は の語り自体 の特徵として、物語世界においても語りにおいても、自己完結的に閉じられていることを擧げられるのである。"
