일본 여성과 내셔널리즘-오쿠무라 이오코, 애국부인회를 중심으로-
日本女性とナショナリズム -奥村五百子、愛国婦人会を中心に-
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초록
本論文は、日本女性とナショナリズムという観点から、日本のナショナリズムに積極的であった女性であり,朝鮮や大陸開発に熱誠的であった奥村五百子を論じたものであった。とりわけ、日本女性の自発的なナショナリズムに注目したものでもあった。まず、一章では、先祖奥村淨信法師が文禄の役の前から朝鮮にわたり、布教と朝鮮侵略に積極的に加担した人物であったこと、そして彼の子孫である五百子が朝鮮開発の使命を帯び、朝鮮の光州に渡ったのは奥村家からみると偶然ではなかったのを論じた。結局、女丈夫、女傑である五百子は、大陸の開発、植民地建設という国家的な使命を受け、朝鮮に渡ったのであった。これは、女性として家庭を離れて社会、国家的な使命をやり遂げるためには、男性を凌ぐ女丈夫、女傑でなければならなかった時代の要請からでもあった。しかし、淸日戰爭、露日戰爭などの大陸侵略戦争に直面していくうちに、日本は女性の力が絶対的に必要となった。その背景から、愛国婦人会がうまれ、愛国婦人会の活動は国家的な事業であり、男性の役割を代る事業であった。当時、戦時総動員体制という意識が成立する前、愛国婦人会は「戦地は男子、戰死者、負傷者、その遺家族という銃後は女性」という公式を形成させた。帝国主義を指向し、世界へ視野を広げていくなかで、近代日本は「愛国」「国民」という名で女性にも積極的に国家の発展に寄与することを訴えながら、社会的責任を果たすことを求めた。また、戰前まで多くの彼女の再生産物(評傳、名婦傳、伝記小説、劇、映画)を中心に、五百子の表象という面から論じた。その結果、五百子は、英米の帝国主義が日本を侵略する激動期に生まれ、祖国日本のための「愛国の母」、大東亜共栄圏の「東アジアの母」として日本のナショナリズムの真ん中に立っていた女性であったことが分かった。
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