谷崎と中華料理 - ?支那の料理?を中心に -
Tanizaki and Chinese Food
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초록
Abstract
谷崎の中国旅行は1918年10月9日に東京を出発してまる二ヶ月間に渡る長い旅で、下関から船で釜山に向かい、ソウル、平壤、信義州、丹東を経由し、奉天(沈陽)から木下杢太郎に別れた谷崎は山海關に泊まってから、再び天津に向かった。天津から北京、漢口、九江、廬山、南京、蘇州、杭州、上海を通して日本へ帰国する順序であった。 谷崎の作品「支那の料理」は大正8年(1919)10月 「大眅朝日新聞」に発表された一種の随筆である。谷崎は中国を二回訪問していてその内第一回目の中国旅行は大正7年(1918)10月であった。 谷崎が中国旅行について整理し、まとめた文章としての紀行文は発表しなかった。但し、旅の一部分を取り上げた作品としては幾つかある。中華料理に関しては上海から帰国した後、創作した「支那の料理」を始めとする随筆や「秦淮の夜」(谷崎潤一郎全集 第14巻 中央公論社)などの作品から推察できるし、また、中国の女性と売春の行為も「秦淮の夜」に詳しく叙述されているのも特徴であろう。 谷崎において中華料理屋の「偕樂園」は最も思いで深い場所として取り上げ、頻繁に訪れたよき遊び場で、谷崎の中国文化体験の始発点でもあった。その証拠として「支那の料理」の冒頭の部分に叙述されている。 異国的な中国の雰囲気を、谷崎が中華料理を通して体験したのは、作家にとっては大きな影響を与えたと思われるので、幼年時代の「偕樂園」による異文化体験は成人になった谷崎に夢を現実化し、第一回目の海外旅行であった中国旅行に大きな役割を果たしたのに違いなかろし、また、幼い時に感覚的に中国を経験したということは、作品「支那の料理」を完成するのに非常に重要な働きをかけたのであろ
참고문헌 (6)
- "新日本語講座 7 昭和5011 汐文社"
- "昭和345 中央公論社"
- "上海史ガイドマップ" (1999), 大修館書店
- "日本知識人の近代" (2000), 講談社
- "特派員芥川之介 - 中でなにを視たのか" (1997), 日新聞社
- "上海史ガイドマップ" (1999), 大修館書
