「啓蒙者の近代」と「文學の近代」 - 浮城物語論爭と<日本近代文學>の形成
A Re-reading of the _Ukisiiro Monogatari_ and the Ukisiiro Debates: Connecting the "Othering" of South-East Asia and the Cultivation of Pure Literature in Japan
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초록
Abstract
1889年末から1890年にかけては、文學が衰退しているか否かという論爭(「文學極衰」論爭)が起こっていた時期である。この狀況のなかで、〈文〉と〈武〉を象徵する二人の人物に率いられた男たちが最新の軍艦に乘って世界に乘り出し、マダガスカルの奪取と領有を目指すという、「雄大」な筋書きを持って登場した『浮城物語』(1890)は、昨今の小說が軟弱な〈人情もの〉ばかりだと嘆く極衰論者たちに絶贊され、またこれを連載した『郵便報知新聞』の部數を增加させるほどの人氣を博した。 序文で、作者矢野龍溪は小說の娛樂性を重要視し、かつ二次的な機能として社會の啓蒙を擧げている。日本人が、近代化の過程で、〈文明と野蛮〉という二項對立を用いて、自らのアイデンティティを構築してきたのは知れたことだが、ジャワの〈蛮人〉を揶揄して描く『浮城物語』は、まさにこの二項對立を以て、日本人を〈進步・文明〉の側に自己同定し、さらにオランダやイギリスと對等に渡り合う登場人物たちによって、西洋中心の國際關係に、臆さず參入する〈自律的な〉日本人像を提示しているのだ。 一方で、『浮城物語』は、石橋忍月、內田魯庵という新進の批評家から嚴しい批判を受けた。彼らは〈芸術性〉の低さを根據に、この小說を論難する。彼らが小說に求めたのは、人間の「運命」や「心理」を寫實的に描くことであり、龍溪がそれを完全に欠如させて娛樂のために小說を供し、かつ、それが絶贊を受けたことに反發したのだった。彼らと龍溪の論爭は、小說の作法と社會的機能、批評のあり方などにまで及ぶ。簡單に言えば、忍月と魯庵の目的は、芸術ジャンルとして自律的な〈文學〉を、そして〈批評〉を日本の社會に確立することにあったと思われるが、彼らの芸術性は、より進步した小說、衆人より進步した審美眼といったものという、〈進步〉の槪念に依據している。この意味において、大文字の〈近代化〉の枠組みのなかで、それを推進させるべく書かれた『浮城物語』が持つ論理と、文學の近代化を目指した忍月・魯庵の芸術槪念は通底している。すなわち、『浮城物語』は、自らが持つ、日本人を文明にアイデンティファイする植民地主義的近代化の論理と同じ構造の言說によって批判され、皮肉にも〈進步〉から置き去りにされてゆくことになったのである。
참고문헌 (5)
- "文中および注釋で示したものは割愛した"
- 鈴木貞美, "日本の「文學」槪念" (1998), 作品社
- 鈴木登美, "語られた自己" (2000), 岩波書店
- 高橋修, "冒險小說の政治學", 10 (2003), 岩波書店
- 柳田泉, "政治小說硏究』下" (1968), 春秋社
