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논문KCI 등재

『바람일다(風立ちぬ)』의 서술시점에 관한 고찰

A study about "Kazetachinu"'s narration

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주제분류일본어와문학

초록

堀辰雄の『風立ちぬ』は、「序曲」「春」「風立ちぬ」「冬」「死のかげの谷」の5章で構成されている。第一章「序曲」から第三章「風立ちぬ」までは一人称小説体の叙述形式になっているが、第四章「冬」と第五章「死のかげの谷」は「私」の日記と、その叙述形式が変わってくるのである。また、語られる物語内容においては、「序曲」から「冬」までは節子の生前の話、「死のかげの谷」は節子の死後の話になっている。小説体と日記体とでは、語り手の語りの時点が異なってくる。この問題に関して論者は、一つ素朴な疑問を提起してみた。ともに節子の生前のことを語っている小説体「風立ちぬ」と日記体「冬」では、どちらの語りの時点が先なのだろうか。つまり、物語内の時間としては「風立ちぬ」の方が先だが、叙述形式からして「風立ちぬ」の方が語りの時点は後になるのである。だとしたら、この「風立ちぬ」の語り手は節子の死をも経験した語り手なのだろうか、という疑問である。そして、この疑問を解く手がかりとして本論では、小説体「風立ちぬ」と日記体「冬」での節子の呼称ー「節子」と「病人」ーの分析を用いた。 「風立ちぬ」では、節子の体調の変化にそって呼称が使い分けられていた。「風立ちぬ」の語り手は、死の前触れである節子の病態に意識を巡らせ、彼女の病気が悪化すると彼女を「節子」ではなく、「病人」と呼んでいたのである。一方、「冬」では、節子の体調とは関係なく、物語内の「私」によって使い分けられていた。「冬」には、「私達の幸福」を信じきるために「私達の物語」を書いている「私」と、それを読返すことによってむしろ現実の自分達を相対的に見てしまう「私」が語られている。このような「冬」の「私」の二重性が節子の呼称にも反映されていたのである。 以上の考察を通して、「風立ちぬ」より「冬」の語り手の方が早い時点ー節子が死ぬ前ーで語りが行われていたことを確認した。『風立ちぬ』の語りは、第一章の「序曲」から始まるのではなく、「冬」の「私」の日々の記録としての日記から始まっていたのである。「私」と節子の「幸福」に迷いをいだいている日記(「冬」)の書き手(語り手)にとって、二人の物語を語ることはできず、ただ二人の現在を日々記すことしか出来なかったのではないかと思う。

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