遠藤周作の『靑い小さな葡萄』論 -<靑い小さな葡萄>の象徵的な意味を中心に-
On The Blue Little Grapes of Endo Shusaku: With a special reference to the symbolic meaning of ‘the blue little grapes’
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Abstract
作品靑い小さな葡萄は、評論家として出發した遠藤が、フランス留學中に模索してきたカトリック作家としての姿勢や主題、小說方法などを長編小說において具現化した作品である。 遠藤が作家として追求しているのは、カメラの位置をどこにも固定しないということ、そこで神でも天使でもない人間を凝視し、黃色人とか白人とかという外的條件に拘らない一人の人間として、その奧に隱れている魂の領域を描き出すことである。 その試みの初期の作品靑い小さな葡萄には、二つの大きなテーマである人種の問題と惡の問題が語られている。 作家遠藤を代弁しているような主人公「伊原」において<靑い小さな葡萄>とは、小說を書くという創る作業を通し、人間の救濟への可能性を探し求めていく「光」のようなものであると思われる。その作業は、文學と宗敎という二律背反の矛盾や人種問題を含めた人間のあらゆる外的な條件、また人間の魂の領域に內在しているどす黑い惡の存在をも認めたうえでの、神の恩寵による救濟の可能性への問いなのである。 <靑い小さな葡萄>というタイトルが示しているように、その作業は作家遠藤にとってまだ「未熟で微々たる」「靑い」「小さな」つぶれやすい「葡萄」ではあるが、彼は希望に滿ちている。 「伊原」にとって現實の逃げ場であった<靑い小さなノート>は、未來の「光」になって、すべての人間の運命に反抗するただ一つの道として<靑い小さな葡萄>を見出す「創る」手段となり得たのである。 作品靑い小さな葡萄は、作品中での葡萄が不毛の土地ヴァルツ縣のものであったように、キリスト文學が荒蕪地と等しかった日本文壇の中で、「普遍的な眞理としてのカトリック」という命題に、渾身の力を注いでいる作家遠藤の切なさや孤獨、希望などが芽生え出した作品であるといえる。
참고문헌 (3)
- "試みの自畵像1 遠藤周作による遠藤周作 靑銅社 1985", pp.6 68~87
- "佐古純一郞 椎名麟三と遠藤周作靑い小さな葡萄について 朝文社 1989"
- "陸根和遠藤周作におけるイエス像序說 實踐國文學 第四十 1991"
