辛亥革命 後 四川 同盟會員의 動向 - 楊庶堪과 熊克武를 中心으로 -
辛亥革命後における四川同盟會員の動向 - 楊庶堪と熊克武を中心に -
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辛亥革命期において同盟会が孫文を中心に統一されてからも力量が欠乏していたということは周知の事実であるが、四川地域にあっても四川同盟会を統一的に指導する単一の機構が成立せず、指導的な人物も登場しなかったため、四川同盟会員は川東地域を除いた川西、川南、川北地域では個別分散的な活動を行った。 これによって、武昌蜂起後各省では軍政府が成立したのに對し、四川は成都地域と重慶地域でそれぞれ軍政府が誕生し、結局辛亥革命時期において急進的な活動を見せた地域中の一つである四川では、全省を統一する軍政府の成立が他の各省よりおくれる結果となったのである。 辛亥革命期には民国革命という目標の下に活動していた四川同盟会員は、革命後にはどのような動きを見せていたのか。同盟会員の大多数は民國成立後、国民党に加入するが、二次革命、護国運動(三次革命)、護法運動、軍閥混戦時期においても民国革命という目標意識が四川國民党員のあいだでも持続的に維持されていたのだろうか。辛亥革命後四川同盟会の内部で葛藤は存在したのだろうか。そういう葛藤が存在したとしたらその原因は何であろうか。また四川国民党内部にはいつ分裂現象が発生したのだろうか。分裂現象が発生したとしたら、それはなぜだったのだろうか。そして孫文を中心とする国民党政権の統合性喪失は地域の政局構図とはどのような関係にあるのだろうか。このような疑問を解明するために、本稿では、楊庶堪と熊克武を中心として上述の問題を検討することにしたい。 さて、二次革命時期において民政権は楊庶堪が掌握し、軍事権は熊克武が掌握するという構図が二次革命期に初めて登場する。このような「民楊軍熊」という構図はその後護法時期にも現われ、今後国民党内部の分裂時期においても楊庶堪と熊克武、およびそれぞれの追従勢力の政治的な二大潮流となった。 二次革命の失敗は四川国民党員が初めて四川地域で革命的基盤を喪失するきっかけになった。四川国民党の中心人物である楊庶堪․謝持․熊克武․向楚․朱之洪などは日本で亡命するか省外に逃亡した。これによって、三次革命発生の前まで四川地域では四川国民党員の活動が初めて空白期に入る狀況となった。 護国運動すなわち三次革命期の四川では、かなり多数の同盟会主要人物が省外で活動する様相が展開される。三次革命時期の主要人物は大部分川西․川南地域出身の舊同盟会員であった。辛亥革命時期に同盟会重慶支部の幹部だった人物は大部分四川地域で活動せずに、外省で活動していた。それで三次革命以降、四川国民党内で重慶地域出身の旧同盟会員の政治的・軍事的影響力は弱體化し、国民党勢力のうち、熊克武を中心とする軍事学堂出身の影響力が拡がったと考えられる。護国運動後四川の軍事權と行政権は皆四川省出身の軍閥が掌握していたのではなく、近隣地域である雲南と貴州の軍閥たちが掌握している形勢となった。さらに、1917年から軍閥混戦のさきがけである劉羅戦・劉戴戦が発生することで、四川地域は雲南․貴州․四川軍閥による角逐の場に転落した。こうした狀況によって四川国民党員の勢力は軍閥勢力に圧倒されて正常な活動ができない状況に置かれたのである。 しかも護法運動の発生とともに四川地域の国民党内部で分裂の兆しが現われていた。このときの国民党内部の分裂は楊庶堪勢力と熊克武勢力との對立として把握することができる。對立の主要原因としては、第一、四川地域で護法運動が起きた当時、四川全地域の部隊は8個師團で編成されたが、そのうち、国民党系列の軍隊は5個師團であった。このとき部隊編成方式をめぐって内部的な對立を見せていたのである。第二、経済的な問題をめぐって發生した對立である。四川督軍であった熊克武の財政的基盤は塩税であり、四川省長楊庶堪を含め黄復生․盧師諦らとの国民党員の財政的な基盤は鴉片税であった。すなわち盧師諦、黄復生が駐屯している各県では鴉片を栽培して鴉片税を徵收していたが、熊克武は但懋辛を下川東に派遣して調査させ、鴉片栽培をしていた一部県の知事を罷兔したり、鴉片税を徵收していた數人の土豪劣紳を殺したが、この事態に對し楊庶堪勢力は不滿をいだいた。第三、人事権をめぐる問題を擧げることができる。1918年3月8日、四川省議会では熊克武を四川督軍に、楊庶堪を四川省長に推戴した。しかし楊庶堪の四川省長就任をめぐって、楊庶堪と熊克武が對立を起こした。その理由は当時軍事權、民政權を掌握していた熊克武勢力は外省で活動していた楊庶堪が四川省長に任命されて回川すると、自分の政治的な立地が弱められるという危機感をいだいたからだと考えられる。このように微妙な政治的な情況下で、楊庶堪は省長就任式を成都で行わず、自分の故郷である重慶で就任式を擧行するという異常な事態にまで至ったのである。 楊庶堪と熊克武の四川内での分裂は国民党全体の流れの中でも把握することができる。孫文を中心とする国民党はその勢力を統合することができなかった情況下で、四川地域にあっても国民党内部の主要人物たちが対立する狀況となり、この時からすでに革命という目標ではなく、個人的な目標や野望によって政局を導いて行く傾向が發生していたと思われる。
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