의화단운동진압전쟁으로 인한 한국의 국제적 환경의 변화와 대응
Confrontation of Korea with the changes of international surroundings around the Korean Peninsular during the Quelling war of the Yihetuan Movement
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Abstract
本論文では中國で發生した義和團運動鎭壓戰爭がまねいだ韓國の國際的環境變化とこれらに對する韓國側の多角的な對應過程を硏究した. 弟1章では義和運動鎭壓戰爭の時期, 露西亞と日本の韓國にたいする基礎調査, 情報蒐集, 與論造作過程, そして韓國をおいて展開した兩國の利權競爭及び協商をしらべた. 第2章では韓國の高宗皇帝が露西亞と日本に向けて國權を守護するため, 多角的な方途を摸索した側面そして, 戰爭によって造成された新しい國際的情勢を利用し間島と沿海州地域で行われた積極的な韓人統治と韓人管理狀況を調べた. 以上の硏究を行うにおいて韓國や日本側の史料だけでなく露西亞側の史料を利用し, 旣存硏究の不十分な部分を補充した. 日本と露西亞の韓國に對する基礎調査事業は, 韓國の開港以來間歇的に行われた. しかし, 1900年義和團運動鎭壓戰爭を前後に露日間の一大激戰が豫想されるなか, 兩國の韓國に對する調査事業及び諜報團派遣を通じ情報蒐集などの活動が活發におこなわれた. さらに, 日本の場合, 日本國內外で本格的な言論統制と與論造作を行い, このための機密費用も少ないものではなかった. 義和團運動鎭壓戰爭以來, 韓國で熾烈に展開された露日間の利權競爭は馬山浦問題, 借款問題, 京義線鐵道敷設, 鴨綠江森林採伐をおいて卷き起こった. また, 露日兩國は韓國をおいて, 何回も協商を展開した協商過程で, 日本は露西亞が今回の戰爭で滿洲を占領したから, 日本は韓國を占めるという滿韓交換的立場を始終堅持した. 反面, 露西亞は韓國分割案, 韓國中立化案, 條件的滿韓交換など多樣な方案を提出した. しかし, 滿洲問題と韓國問題は分離しては考えられないという日本側の立場と滿洲問題と韓國問題は別の事案だという露西亞側の主張が張り合い, 結局, 合致點を探せず露日戰爭にいたることとなった. 高宗はこのような危機に陷り國權を守護するための方案として, 大韓帝國の中立國化及び外交多變化を推進し, 軍備增强政策を圖った. しかし, 軍備增强は國內の民衆蜂起を鎭壓するに有效なだけであって, 中立國をなせる國家自衛力水準とは, とても遠いはなしであった. 一方, 高宗は滿洲地域の國際的變化を機會とし積極的に間島を統治しはじめた. これは滿洲を占領した露西亞が, 默認したから, 可能であった. 露西亞は淸を排除し韓國と露西亞兩國が間島を共同で統治する內容の條約も提案した. 韓國政府は, 沿海洲地域に對しても, 積極的な韓人管理を試みた. 慶興監理黃祐永を 兼官海蔘葳通商事務に任用し沿海洲地域の韓人を管理するようにした. しかし, 黃祐永は 通商事務官の職務とは遠い租稅徵收などの不法行爲をし, 露西亞側の不滿をまねいだ. しかし, 韓國をおいて日本と角逐をくりひろいだ露西亞としては, 韓國を引き入れるために, 韓國側の不當行爲を甘受した. このように, 韓國は國權守護が切迫な狀況でも, 一方では當時の國際情勢を利用し實益を追求した.
