百濟 定林寺 創建을 통해 본 對中關係
百濟 定林寺 創建を通してみた對中關係
1
조회
0
다운로드
4
인용
0
참고문헌
키워드
초록
本稿では、定林寺跡から出土した遺構と遺物を通して創建年代を推定し、その結果に基づいて百済と北朝との関係について検討した。定林寺跡の創建伽藍に用いられた塔は木塔であり、現在の五重石塔は、木塔の消失後の639-660年に建立されたことを従来の研究と弥勒寺跡から出土した遺物と比較検討することで推定した。最近の発掘調査によって明らかになった定林寺跡の伽藍配置は、陵山里寺跡(567), 王興寺跡(577), 帝釋寺跡(639년 燒失)を参考すれば、6世紀の第一四半期に比定できる。定林寺跡の塑造像の起源が中国の北朝にあることについて異見はなく、使用時期は、北朝と交流が活発に行われ始める567年以降であると考えられる。そして3種類の創建軒丸瓦の検討で得られてた編年も6世紀後半に属する。したがって、遺構と遺物の年代を総合してみれば、定林寺は577年以降の威德王代に創建されたと考えられる。威德王は、管山城戦闘の敗戦の責任を問われ、一時期窮地に追い込まれたこともあったものの、戦死した父王と、亡くなった王子の追福の為に、陵山里寺跡と王興寺を創建するほど失墜した王権を回復した。それに伴って、執権後半期ともいえる567年からは、対中関係も活発に行われ、特に、従来とは違った南朝より北朝と、より多くの交流を行った。北朝との本格的な交流が威德王代に始まったといえるほど、威德王は百済の歴代の王の中で、北朝に対し最も積極的な外交を広げた。このような外交政策の変化の背景には、国家の威信を高めるだけではなく、韓半島内の孤立から脱皮するとともに、高句麗を牽制しようとする政治的な目的があった。定林寺の木塔の中に、北朝系の塑造像を安置した目的もこれに関連する。国家的寺院であった定林寺の木塔に、北朝系の塑造像を安置することによって、南朝一辺倒政策から離れ、北朝と新しい関係を定立しようとする百濟の意図を標榜しようとしたのである。このような仏教を利用した友好関係を表した対外政策は、すでに南朝との交流の際に学習したものであった。
참고문헌 (55)
- 金正基, "彌勒寺塔과 定林寺塔-建立時期의 先後에 관하여-", 美術史學硏究, 164, pp.2~ (1984), 한국미술사학회
- 尹武炳, "定林寺" (1981), 忠南大學校博物館
- 李炳鎬, "扶餘定林寺址出土塑造像의 製作技法과 奉安場所", 美術資料, 72(3), pp.81~ (2005), 國立中央博物館
- 趙源昌, "百濟定林寺址石塔下部軸基部版築土의 性格", 한국고대사탐구, 5, pp.145~ (2010), 한국고대사탐구학회
- 이다운, "印刻瓦를 통해 본 益山의 기와에 대한 연구", 고문화, (70), pp.89~108 (2007), 한국대학박물관협회
- 이다운, "印刻瓦를 통해 본 益山의 기와에 대한 연구", 고문화, (70), pp.89~108 (2007), 한국대학박물관협회
- 이귀영, "미륵사지석탑 사리장엄의 의의", 백제 불교문화의 寶庫미륵사 학술심포지엄 논문집, pp.125~126 (2010), 국립문화재연구소
- 花谷浩, "斑 鳩寺の創建瓦, In 古代瓦研究-飛鳥寺の創建から百済大寺の成立まで-, Ⅰ", pp.138~152 (2000), 奈良国立文化財硏究所
- 佐藤隆, "四天王寺の創建瓦, In 古代 瓦研究-飛鳥寺の創建から百済大寺の成立まで-, Ⅰ", pp.153~160 (2000), 奈良国立文化財硏究所
- 국립부여문화재연구소, "扶餘定林寺址", pp.318~319 (2011)
- 이병호, "百濟 定林寺式伽藍配置의 展開와 日本의 初期寺院", 백제연구, (54), pp.113~143 (2011), 백제연구소
- 국립부여문화재연구소, "帝釋寺址발굴조사보고서 I", pp.228~230 (2011)
- 洪潤植, "文獻資料를 통해서 본 百濟武王의 遷都와 史實, In 益山의 先史와 古代文化", pp.316~328 (2003), 마한백제문화연구소
- 帝釋寺址발굴조사보고서 I, "국립부여문화재연구소", 230~ (2011)
- 扶餘軍守里廢寺址發掘調査槪要, In 昭和十一年度古蹟調査報告, "石田茂作", 朝鮮古蹟硏究會, ~ (1937)
- 扶餘東南里廢寺址發掘調査報告, In 昭和十\三年度古蹟調査 報告, In 第四扶餘に於ける百濟寺址の調査 甲, "石田茂作", 朝鮮古跡硏究會, ~ (1940)
- 東南里遺蹟發掘調査略報告書, "忠南大學校博物館", ~ (1993)
- 金剛寺, "尹武炳", 國立博物館, ~, pp.國立博物館古跡調査報告書7 (1969)
- 扶蘇山城發掘調査報告書, "國立文化財硏究所", ~ (1996)
- 扶餘文化財硏究所, "龍井里寺址" (1993)
- 彌勒寺遺蹟發掘調査報告書 Ⅰ, "文化財管理局文化財硏究所", ~ (1989)
- 國立扶餘文化財硏究所, "彌勒寺址遺蹟發掘調査報告書 II" (1996)
- 國立扶餘文化財硏究所, "王宮里 Ⅳ" (2008)
- 陵寺, "國立扶餘博物館", ~, pp.國立扶餘博物館遺蹟調査報告書8 (2000)
- 국립부여문화재연구소, "王興寺址 III" (2009)
- 정자영, "6~7세기 백제 사찰 내 강당 좌우 건물지의 변천과정 고찰", 건축역사연구, 19(6), pp.137~154 (2010), 한국건축역사학회
- 帝釋寺址발굴조사보고서 I, "국립부여문화재연구소", 48~ (2011)
- 민경선, "백제 사비기 사찰의 가람배치 변화 양상에 대한 일고찰", 고문화, (78), pp.57~92 (2011), 한국대학박물관협회
- 김낙중, "百濟 泗批期寺刹의 伽藍配置와 造營의 特徵 –최근의 발굴조사 성과를 중심으로–", 한국상고사학보, 74(74), pp.203~230 (2011), 한국상고사학회
- 조원창, "백제 사비기 강당지 기단의 형식과 변천", 문화사학, (34), pp.39~61 (2010), 한국문화사학회
- 김혜정, "백제 사비기 와적기단 건물지 검토", 지방사와 지방문화, 14(2), pp.97~128 (2011), 역사문화학회
- 성형미, "부여 정림사지 9차 조사지역에 대한 고고지자기학적 연구, In 扶餘 定林寺址", pp.550~553 (2011), 국립부여문화재연구소
- 박현정, "부여정림사지 도용 복원을 위한 籠冠服飾연구", 服飾, 51(6), pp.36~ (2001), 한국복식학회
- 文明大, "扶餘定林寺터에서 나온佛像과 陶俑", 季刊美術, (겨울), pp.119~ (1981)
- 尹武炳, "扶餘定林寺址發掘記", 佛敎美術, 10, pp.40~ (1991), 동국대학교박물관
- 北魏洛陽永寧寺1979-1994年考古發掘報告, "中國社會科學院考古硏究所", 中國大百科全書, ~ (1996)
- 北魏洛陽永寧寺, In 中國社會科學院考古硏究所發掘報告, "奈良国立文化財研究所", ~, pp.奈良国立文化財研究所史料47 (1998)
- 李炳鎬, "扶餘定林寺址出土塑造像의 製作時期와 系統", 美術資料, 74, pp.45~46 (2006), 國立中央博物館
- 박순발, "百濟 ‘籠冠俑’ 硏究", 백제연구, (48), pp.33~62 (2008), 백제연구소
- 國立扶餘博物館, "국립부여박물관(도록)", pp.84~ (1997), 삼화출판사
- 이다운, "부여 정림사 복원을 위한 출토기와 검토", 정림사 복원 국제학술심포지엄, pp.198~199 (2012), 부여군․(재)부여군문화재보존센터
- 金誠龜, "百濟의 瓦塼, In 百濟의 彫刻과 美術", pp.361~321 (1991), 공주대학교 박물관
- 亀田脩一, "百濟古瓦考", 百濟硏究, 12, pp.91~95 (1981), 충남대학교 백제연구소
- 이병호, "백제 사비도성의 조영과 구획", 석사, 국사학, pp.2001
- 백제 사비기 기와 연구 I, "국립부여문화재연구소", 41~ (2009)
- 소재윤, "백제 와건물지의 축조기법과 변천과정에 대한 연구 : 웅진·사비기의 금강유역을 중심으로", 석사, pp.2004
- 윤용희, "사비시기 와전문화의 전개와 변천과정 -수막새의 문양과 제작기법을 중심으로-, In 百濟瓦塼과 古代東Asia의 文物交流", pp.66~ (2010), 한국기와학회
- 淸水昭博, "百濟「大通寺式」수막새의 성립과 전개-中國 南朝系 造瓦技術의 전파-", 백제연구, 38, pp.57~83 (2003), 백제연구소
- 宮南池, "國立扶餘文化財硏究所", 3~, pp.國立扶餘文化財硏究所遺蹟調査報告書11 (2007)
- 김수태, "개교 50주년 기념 학술발표회 특집 : 신라 가야문화권에서 본 백제문화의 이해 ; 백제 위덕왕대 부여 능산리 사원의 창건", 백제문화, 27(27), pp.37~52 (1998), 백제문화연구소
- 이도학, "<王興寺址 舍利器 銘文> 分析을 통해 본 百濟 威德王代의 政治와 佛敎", 한국사연구, (142), pp.1~31 (2008), 한국사연구회
- 양기석, "百濟 威德王代 王興寺의 創建과 背景", 문화사학, (31), pp.5~23 (2009), 한국문화사학회
- 양기석, "百濟威德王代의 對外關係-對中關係를 중심으로-", 선사와 고대, 19, pp.252~ (2003), 한국고대학회
- 박윤선, "위덕왕대 백제와 남북조의 관계", 역사와 현실, (61), pp.87~117 (2006), 한국역사연구회
- 趙景徹, "百濟聖王代大通寺창건의 사상적 배경", 국사관논총, 98, pp.125~ (2002), 국사편찬위원회
